
特別インタビュー
INTERVIEW
「人はなぜ、お葬式をするのでしょうか」。そうお尋ねになる方に、こんなお話をしたことがあります。
昔々、子どもを亡くして嘆き悲しみ、お葬式を拒み続ける若い母親が、お釈迦様を訪ねてきました。お釈迦様が「お子さんを亡くされ、悲しい思いをされているのですね。あなたは何を望んでいらっしゃるのですか」とやさしく問いかけたところ母親は「子どもを生き返らせてほしい」と哀願します。お釈迦様は母親に「わかりました。誰も亡くなった方のおられない家から芥子の実をもらってきたならば、望みを叶えましょう」とおっしゃいました。ところが何軒訪ねても、亡くなった方のいない家は一軒もありません。その母親は「どのご家族もみんなお別れを経験し、悲しみを乗り越えておられる」ということにようやく気づき、お葬式をしたというお話です。
人との別れは悲しいものです。たとえ生まれてくることのできなかった命であっても、おなかの中に宿ったときから、ともに生きてきたのですし、長生きされた方をお送りするのも、やはり悲しい。深い悲しみのなか「亡くなってしまえば、それでおしまいだ」と考える方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私はご遺族に「この世での命日は、お浄土での誕生日なのです」とお伝えすることがあります。「亡くなった方は、お浄土に生まれていかれるのですよ」と。今はお送りする側かもしれませんが、いつの日か送られる側になれば、亡き方がお浄土で「おかえりなさい」とお迎えになることでしょう。離れ離れになっていても見護っておられますから、会いたいと思ったときには手を合わせてお念仏を称えれば、いつでも心のよりどころとなってくださいます。命とは、一瞬一瞬の積み重ね。吸う息、吐く息の一つひとつが生きるということです。無常というと常に変化し、次々と終わってゆくばかりに捉えられがちですが、終わりとは、新しい始まり。悲しみだけで終わらせるのではなく、無常であるからこその展望を持つことが、残された方々にとても大切なのです。
誰しも、この世に存在できるのは、前の命があったからに違いありません。命には過去、現在、未来があり、命のエネルギーは「おしまい」ではないのです。そんなかけがえのない命について、日常の中で考えることはなかなかありません。亡き方の命、ご自身の命。お葬式は、それをあらためて見つめさせていただくときなのです。
お葬式は残された人たちが集い、心のよりどころやご縁の大切さを確かめあえる場です。会話を交わすなかに、亡き方からのメッセージがたくさん見つかることでしょう。「ああ、気づかなかったことを気づかせてもらった。ありがとう」と感謝しながら、そのメッセージを胸に刻んで生きれば、亡くなった方もきっと喜んでくださいます。亡き方への想いと感謝を深めることは、生きる力にもつながるのです。
そうした生きる力に結びつくセレモニーがお葬式です。僧侶は心に響くお経や法話に努めます。お経はお釈迦様が人生の苦しみを乗り越える力を説いておられるもの。荘厳な空間をつくりあげるのはそのためでしょう。お釈迦様の言葉に「独り生まれ、独り死し、独り来たりて、独り去る」とあります。人生は厳しく、決して代わってもらうことはできません。それだけに、親子、兄弟、夫婦は、本当に不思議なご縁であることに気づかされます。「当たり前」ではなく、尊いご縁、つまり「有り難い」絆。お別れは、こうした出会いの尊さ、有り難さをあらためて見つめ、感謝すべきときです。「ありがとう」という気持ちがわきあがってくれば、これからを精一杯歩み、人生をまっとうする決意ができることでしょう。お葬式以降の法要やお墓参りは、その姿を亡き方に見届けてもらう、報告するという意味あいもあり、元気で生きることにもつながります。
お葬式のことを、形式的なものに過ぎないと考える方がおられるとしたら、そうではないことに気づいていただきたいというのが、私の願いです。お葬式という場で「命とは何でしょうか」と問い直すきっかけになるメッセージを、亡き方は私たちに残してくださっているのです。
最近増えてきた家族葬は、体面を気にするのではなく、親しい方で集うという本来の姿を取り戻しつつある表れではないでしょうか。家族だけで集うと決められているわけでもなく、親戚、ご近所さん、お世話になった方にお越しいただいてもいいでしょう。親しくお話ができるぐらいの人数がふさわしいと感じます。
亡くなってほどなく、納棺される前に枕元であげるお経のことを、枕経(臨終勤行)といいます。これは「この人生を過ごさせていただいてありがとうございました」という、亡くなった方の感謝を表すお念仏を、その方の代わりにおつとめし、ご遺族に引き継いでいただく、というものです。
亡くなる前、ご病気などで、十分にお話ができなかったというケースも多々あります。さらにお通夜、お葬式は、悲しんでいる余裕すらないことがほとんどです。「会えない、話せない、返事が返ってこない」という悲しみが深まるのは、お葬式が終わってしばらくしてから。なかには「十分にしてあげられなかった」「本当はこんなことをしてあげたかった」「喜んでもらえたのだろうか」「したことは間違ってなかったのか」などと、疑問や、自らを責めるお気持ちを持ち続ける方もいらっしゃいます。
お葬式で大切なのは「あなたのおかげで生きてこられた。ありがとう」という、亡き方への純粋な感謝の気持ちをこめることだけと言ってもいいでしょう。美しい花やお好きだったもので飾り、亡き方への思い出や感謝を形に表します。華美でなくても構いません。お布団の上に花一輪、お好きだったお菓子ひとつでもいいでしょう。何よりも、ご遺族のお気持ちが第一なのです。
一般的には、トゲのある花、お肉など生臭いものはお供えにふさわしくないという声があり、さらに宗派によっては決まりごとを変えられないかもしれませんが、私はあまりとらわれなくていいと考えています。ご相談を受けた際には、故人を偲ぶためであれば、ほとんど「いいですよ」とお伝えしています。以前ご家族のご意向で、チェロの生演奏を取り入れた家族葬に立ち会ったことがあります。美しい音色に心動かされ「素晴らしい」と感じました。
お寺さんとのお付き合いを、難しくお考えになる必要はありません。気軽に、まずはご相談されるといいでしょう。私は小さいお子さんにも、お寺にどんどんお越し頂きたいと常日頃から思っています。お墓参りや、御仏様、道端のお地蔵さんの前などで、手をあわせている大人の姿を繰り返し見ているうちに、感謝の心が育ち、生きる力につながると信じております。心を大切にして生きる文化が連綿と続くことは、私だけでなく、皆様の願いではないでしょうか。
淨教寺 | 島田春樹(しまだ はるき)さん
置いた終活の推奨に力を入れる。淨教寺/開創765年。奈良文化の価値を讃え保存を提唱したフェノロサ講演の地として有名な浄土真宗寺院。
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